昨年、大阪のとある市民グループの会に参加させていただいたときに、
某大学教授(だったと思う)の方がこの言葉を紹介しておられました。
この言葉の意味について正確な文言は覚えていませんが、
私の印象では次のようなものでした。
・どんな人でも自由に出入りできて、自由で対等なコミュニケーションができる「場(ば)」
「場」といっても、必ずしも具体的な場所というものだけでなく、
色んな意味で人を引き付ける要素をもっており、複数の人々が関わってくれば、
あらゆるものがコモンズとして成立しうる
ということです。
私が思いつくコモンズの具体例をあげてみますと
<自然系>森、海岸、河川、丘、河川敷、土手・河原、湿原...
<地域系>公園、市場、商店街
<建築系>建物、遺跡・遺構、町並み....
<文化系>好みのアートやアーティストについての同好会
<伝統系>祭り、神事、伝統芸能....
数えあげればきりがありませんね。
要は、仕事を離れて楽しんだり、心が安らげるお気に入りの場であって、それを共有する仲間が少しでもいれば「コモンズ」は成立しうるということですね。
もちろん上記のカテゴリが複合したコモンズもあり得ます。むしろそのほうが多いかも。
娯楽産業が提供する専門家による高度なスキルでボリューム感たっぷり、至れり尽くせりのサービスを受けるのもたまにはよいですが、自分たちで企画し、自分たちが主役と見物人の二役となり、同好の志と楽しく、ゆったりと談笑し、
イベントが終われば、その余韻を楽しみながら後片付けをする。
こんな余暇の過ごし方がもっともっと広がることを期待したいですね。
「足るを知る」
あらゆる面で膨張指向している現代人に警告している、日本の地球物理学者の言葉ですが、欲望を抑えたり、我慢するのではなく、身近にある物や人の素晴らしさに気づき、それをいつまでも見失わないようにしたいものです。
色んな人が集まる分、方向性が定まらず、トラブルが生じるケースも少なからずあると思います。
しかし、こうした楽しみの場を守りたい、そのためには自分一人では何もできず、お互いの力を生かしていかねばならない、ということを心しておけば、なんとかなると楽観しているのですが、どうでしょうか?