【夜明け前拾い読み-25】
ここの文章で藤村が尊王攘夷水戸学派に大きな共感をもっていることが良く分かります。それゆえ彼らの西行き旅程に多くの紙面を割いたのでしょう。
以下本文抜粋しました。()内は私の注釈です。
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筑波の脱走者、浮浪の徒というふうに、世間の風評のみを真に受けた地方人民の中には、実際に浪士の一行を迎えて見て旅籠銭一人前弁当用共にお定めの二百五十文ずつ払って通るのを意外とした。あるものはまた、一行と共に動いて行く金の葵紋の箱、長柄の傘、御紋付きの長持から、長棒の駕籠の類まであるのを意外として、まるで三、四十万石の大名が通行の騒ぎだと言うものもある。しかし、それも理のないことではない。なぜかなら、その葵紋の箱も、傘も、長持も、長棒の駕籠も、すべて水戸烈公(徳川斉昭)を記念するためのものであったからで。たとい御隠居はそこにいないまでも、一行が「従二位大納言」の大旗を奉じながら動いて行くところは、生きてる人を護るとほとんど変わりがなかったからで。あの江戸駒込の別邸で永蟄居を免ぜられたことも知らずじまいにこの世を去った御隠居が生前に京都からの勅使を迎えることもできなかったかわりに、今「奉勅」と大書した旗を押し立てながら動いて行くのは、その人の愛する子か孫かのような水戸人もしくは準水戸人であるからで。幕府のいう賊徒であり、反対党のいう不忠の臣である彼らは、そこにいない御隠居にでもすがり、その人の志を彼らの志として、一歩でも遠く常陸のふるさとから離れようとしていたからで。
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